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東京地方裁判所 平成7年(行ウ)3号 判決 1997年10月29日

原告

エス・ウント・エー有限会社

右代表者取締役

ハルトウィッヒ・ゾンデルホフ

右訴訟代理人弁護士

中町誠

被告

中央労働委員会

右代表者会長

山口俊夫

右指定代理人

若菜允子

福地靖

齋藤文昭

瀬野康夫

被告補助参加人

全国労働組合総連合・全国一般労働組合東京地方本部・

法律会計特許一般労働組合

右代表者執行委員長

寺下章夫

被告補助参加人

全国労働組合総連合・全国一般労働組合東京地方本部・

法律会計特許一般労働組合ゾンデルホフ分会

右代表者分会長

松下多賀子

右両名訴訟代理人弁護士

小部正治

今野久子

主文

一  被告が、中労委平成四年(不再)第三号事件について、平成六年一一月三〇日付けでした別紙(略)一記載の命令中、東京都地方労働委員会が都労委平成元年(不)第三号事件について、平成三年一二月一七日付けでした別紙二記載の主文の命令のうち、主文第一項において昭和六三年一二月二六日付け要求書記載の要求事項第六項の「慶弔休暇の月例賃金からのカットをやめ」の部分、第七、第九、第一二及び第一四項について誠意をもってすみやかに団体交渉に応じるべきことを命じた部分並びに主文第三項について、原告の再審査申立てを棄却した部分を取り消す。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを三分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。参加によって生じた訴訟費用もこれを三分し、その一を被告補助参加人らの負担とし、その余を原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が中労委平成四年(不再)第三号事件について、平成六年一一月三〇日付けをもってした命令を取り消す。

第二事案の概要

一  本件は、原告が被告補助参加人らとの団体交渉に応じないのは、不当労働行為に当たるとして、誠意をもってすみやかに団体交渉に応じることなどを命じた東京都地方労働委員会(以下「都労委」という。)の救済命令(以下「初審命令」という。)を維持した被告の命令(以下「本件命令」という。)について、原告がその取消しを求めている事案である。

二  争いのない事実等

以下の事実は、当事者間に争いがないか、又は、括弧内記載の証拠によって認められる。

1  当事者等

(一) 原告(以下「会社」という。)は、外国企業の日本国への特許申請に必要な書類、資料等の作成を主たる業務とする有限会社であり、従業員数は約一〇〇名である。

(二) 被告補助参加人全国労働組合総連合・全国一般労働組合東京地方本部・法律会計特許一般労働組合(以下「法会労」という。)は、全国の法律、会計、特許、司法書士事務所等に勤務する労働者で組織された労働組合である。

(三) 被告補助参加人全国労働組合総連合・全国一般労働組合東京地方本部・法律会計特許一般労働組合ゾンデルホフ分会(以下「分会」といい、法会労と併せて「組合」ともいう。)は、会社の従業員のうち法会労所属の組合員で組織された労働組合である。

2  本件命令の成立

組合は、会社が昭和六三年一二月二六日付け要求書記載の諸要求一四項目(以下「諸要求事項」という。その内容は別紙三記載のとおり。)及び昭和六三年度昇給(賃上げ)・夏季賞与(一時金)・冬季賞与(一時金)、平成元年度昇給(賃上げ)についての団体交渉(以下「本件団体交渉」という。)において誠実に対応しなかったことや、「職場を守る会」(以下「守る会」という。)主催名義の新年会、忘年会、ビアパーティー及び旅行(以下「諸行事」という。)において、分会所属の組合員の参加が妨げられていることなどを理由として、会社を被申立人として都労委に不当労働行為の救済を申し立てた(都労委平成元年(不)第三号)。都労委は同事件について平成三年一二月一七日付けで別紙二記載の主文の初審命令を発し、会社は、右初審命令を不服とし、被告に対して再審査の申立て(中労委平成四年(不再)第三号)をしたところ、被告は、平成六年一一月三〇日付けで別紙一記載の本件命令を発し、本件命令書は、同年一二月二〇日会社に送達された。

3  分会結成前後の労使関係

(一) 守る会の結成

従来会社には、従業員の約八割が加入していたゾンデルホフ・ウント・アインゼル従業員組合(以下「従組」という。)が存在していた。従組は、昭和五四年末から五五年にかけて活発な組合活動を展開し、既に協定済みの昭和五四年度の冬季賞与について会社に再交渉を迫って一律三万円の上積みを実現させたり、昭和五五年度の昇給について約三か月半に及ぶ交渉の結果、会社回答を二回にわたって上積みさせるなど会社から大幅な譲歩を得ることに成功した。会社はこのような組合活動の活発化に対して反発を強め、従組との対立が次第に深刻化する中で、昭和五六年一二月、会社の管理職四名が中心となって守る会が結成された。守る会の会員数は、当初一〇名前後であったが、昭和五七年四月の発足式の時点では五〇名前後に達した。

(二) 諸行事からの従組組合員の排除

守る会の発足式後、従来会社主催で全従業員を対象にほぼ毎年行われていた諸行事は、守る会の主催で行われるようになり、従組の組合員(後記(三)の従組解散・分会結成後は分会の組合員)は、守る会の会員でないとして諸行事への参加を悉く拒否された(<証拠略>)。

(三) 分会の結成

守る会の結成後、従組の組合員は相次いで同会に加入し、従組を脱退した。その結果、守る会結成前の昭和五六年一一月当時四〇名ほどいた従組の組合員は、昭和五七年四月の守る会の発足式のころには二〇名を切り、同年九月ころには一三名に減少した。従組に残った組合員は、昭和五八年二月三日、従組を解散すると同時に法会労に加入し、分会を結成した(<証拠略>)。

(四) 就業規則の改定

昭和五九年一月一日、会社は就業規則を改定し、従来休日としていた<1>毎週日曜日、<2>土曜日(ただし、第四週目ごとの出勤日を除く。)、<3>国民の祝祭日、<4>年末年始のうち、<1>のみを「休日」として残したほかは、新たに創設した「一般休暇日」とした。その結果、<2>ないし<4>は、年次有給休暇の取得要件の一つとして就業規則が規定する「全労働日の八割以上出勤した者」でいう「労働日」に算入されることになった。

同時に会社は賃金規定を改定し、始業後一五分を超える遅刻、一時間を超える私用外出及び早退について一定の割合で賃金をカットすることにし、従来有給であった生理休暇、慶弔休暇、出産休暇を無給とした(<証拠略>)。

(五) 棚上げ協定の締結

昭和五九年二月三日、組合と会社は、組合の「昭和五八年八月一五日付け要求事項及び同年一一月二一日付け要求事項(ただし、昭和五八年度の冬季賞与に関する要求事項を除く。)についてはすべて棚上げとする。」旨の協定(以下「棚上げ協定」という。)を締結した。右にいう、「八月一五日付け要求事項」とは、組合員村上典子の育児時間の承認、考課基準の明示、勤務時間内の組合活動の承認、就業時間の三〇分短縮等を、「一一月二一日付け要求事項」とは、昭和五八年度の冬季賞与に関する要求事項、右村上の育児時間の承認、有給休暇の届出用紙に理由を記載させないことなどを指す(<証拠略>)。

(六) 昇給の妥結調印月実施問題

基本給の昇給について、従来会社は、妥結・調印が二月を過ぎた場合であっても二月に遡って昇給を実施していたが、昭和五六年度の昇給からは妥結・調印をした月からしか昇給を行わないこととし、右就業規則改定の際、従来「原則として毎年一回二月に行う。」としていたものを、「原則として毎年一回行う。」と改めた。そして、組合が昭和五九年度の昇給について、同年二月を過ぎてから妥結する旨通告しても、二月に遡って昇給を実施することを拒否し、一方組合も、妥結調印月実施条項の入った協定書への調印を拒んだため、結局、分会の組合員については、同年度の昇給は実施されず、同様にして昭和六〇、六一年度についても分会の組合員の昇給は実施されなかった。なお、会社は、分会の組合員以外の一般正規従業員に対しては、この間も毎年二月に昇給を実施した(<証拠略>)。

4  本件団体交渉の経緯

(一) 昭和六三年度昇給に関する団体交渉

(1) 組合は、昭和六三年度の昇給について、「基本仕事給の一律三万円の引き上げと考課基準の作成・公開かつ公正な運用」を要求して、昭和六二年一二月二日から二回にわたって会社に団体交渉を申し入れたが、会社は、「来年度昇給については未だ検討の段階ではないので、来年になってから回答する。」「例年どおり一月末から二月初めころ回答できると思うので今しばらく待つように。」として組合の申入れには応じなかった。

一月二五日になって、会社は、「一般正規従業員一人当たりの平均昇給額を九五一〇円とし、妥結調印月から昇給を実施する。」旨回答するとともに、この会社回答を議題とする団体交渉を一月二九日に行うことを組合に申し入れた。

一月二九日、第一回目の団体交渉が行われ、席上、会社の今井総務部長は、会社回答について「昨年と同じで特に説明することはない。業績がいいとか悪いとかは関係なく、世間並み、昨年並みである。」と述べ、「考課基準、標準モデル賃金、昇給の最高額と最低額、昇給率等を明らかにして欲しい。」との組合の要求に対して、「教えない。意味がない。棚上げ協定でけりがついている。」などと答えるのみで明らかにせず、会社回答にいう「一般正規従業員」の数についても「答えられない。答えない。」と言うのみであった。

(2) 二月一日、組合は重ねて会社に団体交渉を申し入れたが、会社はこれに応じなかった。

二月八日、会社は、「一月二九日の団体交渉は、一月二五日付け会社回答について審議・交渉した結果、双方の主張が平行線で終了したので、これ以上交渉を重ねても無意味である。右会社回答は最終回答であり、会社はこの回答を変更する意思はなく、また既に説明した以外の説明もない。しかしながら、会社回答による妥結のための団体交渉であれば、二月一二日に開催する用意があるので、これに応諾する場合は文書で回答されたい。」との「回答書」を組合に手交した。

二月一二日、第二回目の団体交渉が行われ、冒頭、今井総務部長は、「これ以上話し合うことはない。調印するのですか、しないのですか。」と切り出し、具体的協議に入る意思のないことを明らかにし、「不満ならばストでも何でも打てばいい。原資枠は拡げないと決めて、私は全権を委任されている。調印しないのなら時間の無駄だ。」と言って、会社回答の根拠について何ら説明しないまま、会社が用意した協定書案をその場に置いて他の会社側出席者とともに退席した。

(3) 二月一五日、組合は、会社の交渉態度に抗議するとともに、重ねて団体交渉を申し入れたが、会社はこれに応じなかった。

二月一九日、会社は、「これ以上の交渉は無意味である。一月二五日付け会社回答が最終回答であり、会社はこれを変更する意思はない。組合が会社回答により妥結するのであれば、既に渡してある協定書案に記入・捺印のうえ返却するか、会社が開催する用意のある二月二三日の妥結・調印のみを議題とする団体交渉に応諾されたい。」との「回答並びに申入書」を組合に手交した。

二月二二日、組合は、「組合の昭和六二年一二月二日付け申入れの議題を遵守すること」とのただし書を付した団体交渉応諾書を会社に提出したところ、会社は、翌二三日、「組合が双方合意の議題を遵守しない場合には直ちに団体交渉を取りやめる。」旨の記載のある団体交渉開催通知書を組合に手交した。

二月二三日、第三回目の団体交渉が行われ、冒頭、今井総務部長は、「今日は妥結するのですか、しないのですか。」と切り出し、会社回答について「九五一〇円は誠意ある回答だ。九五一〇円しか出せないのではなく、出さないのだ。」などと発言するだけでその根拠を示さず、考課基準の明示要求に対しては、「一般従業員には発表しないことに決めている。」と言ってこれを拒絶し、「妥結しないのならば今日はやめましょう。」と言って、実質的協議に入ることなく他の会社側出席者とともに退席した。

(4) 二月二五日、組合は、会社の交渉態度に抗議するとともに、重ねて団体交渉を申し入れたが、会社はこれに応じなかった。

二月二九日、会社は、一月一九日付け「回答並びに申入書」とほぼ同じ内容の「回答並びに申入書」を組合に手交し、組合が会社回答により妥結するのであれば、既に渡してある協定書案に記入・捺印のうえ返却するよう求めた。

同日、組合は、協定書案に記入・捺印のうえ、妥結通告書とともに会社に提出し、ここに昭和六三年度昇給は一月二五日付け会社回答のとおり確定した(<証拠略>)。

(二) 昭和六三年度夏季賞与に関する団体交渉

(1) 昭和六三年五月一三日、組合は、「昭和六三年度の年間賞与を(基本給+生計手当)×一律六か月とし、うち三か月分を夏季賞与として六月一〇日までに支給すること」などを要求して会社に団体交渉を申し入れたが、会社はこれに応じなかった。

六月一日になって、会社は、「夏季賞与は現行基本給×平均二・二〇五か月とする。冬季賞与については時期尚早であるので、改めて回答する。この回答を議題とする団体交渉を六月六日に開催する用意があるので、これに応諾する場合は文書で回答されたい。」との「回答並びに申入書」を組合に手交した。

六月六日、第一回目の団体交渉が行われ、席上、今井総務部長は、会社回答について「額は世間並み、考課については従来どおりである。これ以上説明することはない。昨年より少し倍率が上がっているが、意味はない。」と述べ、何故世間並みと言えるのかという組合の質問に対して一応会社回答の根拠を説明したが、その説明内容は、「参考資料は人事院発表の五〇〇人以下の全国平均であり、職種・年齢等は全部単純平均したものである。」といったものであって、具体的な資料等を提示しての説明はせず、「仕事の質や高物価の東京周辺での生活事情を考慮すべきではないか。」との組合の意見に対しては、「当社の仕事はそれほど高度ではない。他の企業に比べて女性の賃金は高い。」と答えてこれを否定した。また、考課基準の明示要求に対しては、同部長は「棚上げだ。」と、満足人事課長は「発表しないと会社が決めている。発表しない理由はあるが、それも言いたくない。」と言ってこれを拒絶した。

(2) 六月七日、組合は、重ねて会社に団体交渉を申し入れたが、会社はこれに応じなかった。

同日、会社は、「六月六日の団体交渉は双方の主張が平行線で終了したので、これ以上の交渉は無意味である。六月一日付け会社回答は最終回答であり、会社はこの回答を変更する意思はなく、また、既に説明した以外の説明もない。しかしながら、会社回答による妥結のための団体交渉であれば、六月一四日に開催する用意があるので、これに応諾する場合は文書で回答されたい。」との「回答並びに申入書」を組合に手交した。

六月一四日、第二回目の団体交渉が行われ、冒頭、今井総務部長は、「今日は妥結するのですか、しないのですか。しないのなら今日はやめましょう。」と切り出し、具体的協議には入る意思のないことを明らかにし、「会社に誠意がないと考えるのはそっちの勝手。自由取引だから力関係だ。組合が要求を出すのも自由なら、会社が回答するのも自由だ。ストでも何でもやればいい。調印しないのならば何も答えない。団体交渉はしない。」などと言って、会社回答の根拠について何ら説明しないまま、開始後約一七分で他の会社側出席者とともに席を立った。

(3) 六月一五日、組合は、会社の交渉態度に抗議するとともに、重ねて団体交渉を申し入れたが、会社はこれに応じなかった。

六月二四日、会社は、「六月一四日の団体交渉は、六月一日付け会社回答による妥結・調印をするのならという条件で設定され、組合もこの条件に応諾して団体交渉に出席していながら、いたずらに会社回答の変更を要求するのみで妥結・調印を拒否した。組合のこのような交渉態度は極めて遺憾である。既に何回も表明したように、六月一日付け会社回答は最終回答であり、会社はこの回答を変更する意思はなく、付け加えるべき説明もない。しかしながら、組合があくまでも団体交渉の場で会社回答による妥結・調印を望むのであれば、会社は今回に限り、七月一日に団体交渉を開催する用意があるので、これに応諾する場合は文書で回答されたい。」との「回答並びに申入書」を組合に手交した。

六月二七日、組合は、「組合の五月一三日付け申入れの議題を遵守すること」とのただし書を付した団体交渉応諾書を会社に提出したところ、会社は、翌二八日、「組合の六月二七日付け文書によれば、会社の六月二四日付け申入れに応諾したのかどうか不明瞭であるので、応諾の可否を簡単明瞭に文書で通知されたい。」との通知書を組合に手交した。

六月二八日、組合は、指名ストライキを行うとともに、「六月六日及び一四日の団体交渉では、労使対等の原則に基づく協議は一切行われていない。組合は、夏季賞与について誠実なる団体交渉を開催するよう申し入れる。」という内容の申入書を会社に提出したところ、会社は、七月一日、「組合の六月二八日付け文書によれば、会社の六月二四日付け申入れに応諾していないので、本日予定の団体交渉は開催のしようがない。組合が会社回答により妥結するのであれば、添付の協定書案に記入・捺印して返却されたい。」との通知書を組合に手交した。

同日、組合は、会社の一連の対応に強く抗議しつつ、協定書案に記入・捺印のうえ、妥結通告書とともに会社に提出し、ここに昭和六三年度夏季賞与は六月一日付け会社回答のとおり確定した(<証拠略>)。

(三) 昭和六三年度冬季賞与に関する団体交渉

(1) 昭和六三年一一月一四日、組合は、昭和六三年度の冬季賞与を「(本給+生計手当)×三・七九五か月+(生計手当×二・二〇五か月)とし、一二月九日までに支給すること、査定を廃止し、年間一律六か月支給となるよう調整すること」などを要求して会社に団体交渉を申し入れたが、会社は、「六月一日付け会社回答のとおりであるからこれを再読されたい。」として、これに応じなかった。

一一月二四日になって、会社は、「現行基本給×平均二・四六三か月とし、支給有効期限は昭和六三年一二月三一日とする。この回答を議題とする団体交渉を一一月二八日に開催する用意があるので、これに応諾する場合は文書で回答されたい。」との「回答並びに申入書」を組合に手交した。

一一月二八日、団体交渉が行われ、席上、今井総務部長は、会社回答について「二・四六三か月これ一言に尽きる。査定の内容も昨年と同じで、昨年と同じ査定点をもらっていれば同じ率である。査定は各自それほど変動はない。率は一流企業の方が少し良いかもしれないが、額では引けを取らない。良いところに行っていると思う。」と述べるだけで、具体的な根拠を示さず、支給額や原資枠についての組合からの質問に対しては「昨年並みに出しており、こんな立派なことはない。下がっていないのだからこんな良いことはない。原資枠はこれ以上拡げない。」と言うだけで明らかにせず、会社の業績や査定点についても「答える必要も意思もない。関係ない。」と言って一切答えなかった。

(2) 一一月二九日、組合は、会社の交渉態度に抗議するとともに、重ねて団体交渉を申し入れたが、会社はこれに応じなかった。

一二月二日、会社は、「一一月二八日の団体交渉では双方の主張が平行線で終了したので、これ以上の交渉は無意味である。一一月二四日付け会社回答は最終回答であり、会社はこの回答を変更する意思はなく、また、既に説明した以外の説明もない。しかしながら、組合が会社回答による妥結・調印を団体交渉の場で行いたいというのであれば、一二月六日に団体交渉を開催する用意があるので、これに応諾する場合はその旨文書で明確に回答されたい。」との「回答並びに申入書」を組合に手交した。

一二月五日、組合は、「組合の一一月一四日付け要求事項を議題として団体交渉を行うよう申し入れる。」旨記載した団体交渉応諾書を会社に提出したところ、会社は、翌六日、「組合の一二月五日付け文書は、一二月二日付け会社申入れの団体交渉に応諾していないので、本日予定の団体交渉は開催されない。」との通知書を組合に手交した。

一二月九日、組合は、会社の一連の対応に抗議して指名ストライキを行った。

一二月一三日、組合は、会社に妥結通告書を提出し、翌一四日、会社と協定書を取り交わし、ここに昭和六三年度冬季賞与は一一月二四日付け会社回答のとおり確定した。

(四) 平成元年度昇給に関する団体交渉

(1) 組合は、昭和六四年度の昇給について、「基本仕事給の一律三万円の引き上げと考課基準の作成・公開かつ公正な運用」を要求して、昭和六三年一二月一三日から四回にわたって、会社に団体交渉を申し入れたが、会社は、「昭和六四年度昇給については時期尚早であり、まだ検討の段階に至っていない。例年どおり、来年の一月末から二月初めころまでには回答できると思うのでそれまで待つように。」として、組合の申入れに応じなかった。

平成元年一月二五日になって、会社は、「一般正規従業員一人当たりの平均昇給額を九六五〇円とし、妥結調印月から昇給を実施する。」旨回答するとともに、この会社回答を議題とする団体交渉を一月三〇日に行うことを組合に申し入れた。

一月三〇日、団体交渉が行われ、席上、今井総務部長は、会社回答についてある程度説明したが、その内容は「今年は九年ぶりに年齢給と勤続給の単価を上げた。中高年層のカーブの立ち上がりを図るためである。考課仕事給の点数単価は、ここ数年二〇〇円ずつ上げてきたが、今年は少し抑えて一〇〇円とする。」「九六五〇円は世間一般より高い。」「世間一般とは毎年暮れに人事院が発表するその年の世間一般の平均昇給額について、今年はこうなるであろうと予想した額である。」といったもので、具体的な資料等を提示することもせず、「組合の要求内容について会社の見解を聞きたい。」との要求に対しては、「三万円なんてとても無理だ。この回答額が最大限だ。考課基準については棚上げ協定で解決済みである。」と、「四月に導入予定の消費税について考慮したのか。」との質問に対しては、「消費税は関係ない。あれは政府のやっていることである。」などと言うだけで、組合の要求を否定する具体的理由を明らかにせず、昇給の対象人数、平均昇給率、昇給の最高額と最低額等については、企業秘密等を理由に一切明らかにしなかった。

(2) 一月三一日、組合は、平成元年度昇給と諸要求事項について、会社に団体交渉を行うよう申し入れたが、会社はこれに応じなかった。

二月三日、会社は、「一月三〇日の団体交渉は双方の主張が平行線で終了したので、これ以上の交渉は無意味である。平成元年度昇給についての一月二五日付け会社回答は最終回答であり、会社はこの回答を変更する意思はなく、今までの説明に付け加えるべき説明もない。したがって、次回の団体交渉は、諸要求事項についての一月一三日付け会社回答を議題として、二月七日に行うことを申し入れるので、これに応諾する場合は文書で通知されたい。」との「回答並びに申入書」を組合に手交した。

二月六日、組合は、平成元年度昇給を第一の議題とし、併せて諸要求事項も議題として協議するよう要求したが、会社は、翌七日、「本日の団体交渉は行うが、議題は諸要求事項についての一月一三日付け会社回答である。」との通告書を組合に手交した。

二月七日、団体交渉が行われ、冒頭、組合は、「昇給の時期だから先に昇給を議題として交渉したい。」と申し入れたが、会社は、「諸要求事項についての一月一三日付け会社回答についての交渉が終わって時間があったら昇給についての交渉に入ればよい。」と主張したので組合もこれを了承した。しかし、諸要求事項についての協議のみで予定時間の一時間三〇分が経過してしまい、平成元年度昇給については全く交渉に入らないまま終了した。

(3) 二月七日の団体交渉終了時、組合は、平成元年度昇給と諸要求事項について、重ねて会社に団体交渉を申し入れたが、会社はこれに応じなかった。

二月一〇日、会社は、「平成元年度昇給については一月三〇日の団体交渉において、諸要求事項については二月七日の団体交渉において、それぞれ双方の主張が平行線で終了した。これ以上の交渉は無意味である。会社の回答は最終回答であり、会社はこの回答を変更する意思はなく、既に説明した以外の説明もない。平成元年度昇給について組合が会社回答による妥結・調印のための団体交渉を望むのであれば、二月一四日に団体交渉を開催する用意があるので、これに応諾する場合はその旨文書で通知されたい。」との「回答並びに申入書」を組合に手交した。

二月一三日、組合は、「平成元年度昇給についての組合要求を議題として、会社が誠実な団体交渉を行うことを前提として団体交渉に応諾する。」旨記載した団体交渉応諾書を会社に提出したところ、会社は、翌一四日、「組合の二月一三日付け文書は、二月一〇日付け会社申入れの団体交渉に応諾していないので、本日予定の団体交渉は開催されない。なお、組合が会社回答どおりに妥結するのであれば、添付の協定書案に記入・押印のうえ返却されたい。」との「通告並びに申入書」を組合に手交した。

(4) 二月一四日の終業時刻過ぎ、分会の吉川分会長、井出書記長及び杉本執行委員は、今井総務部長の席に赴き、団体交渉中止の理由を問い質すとともに、直ちに団体交渉を開くよう要求したが、同部長がこれに応じなかったため、当日の団体交渉を断念し、二月一七日までに改めて団体交渉を開くよう求めた団体交渉申入書を同部長に手渡そうとしたところ、同部長は、これを受け取るなり中身を見ないで破り捨ててしまった。

二月一五日、組合は、今井総務部長の右行為に対して抗議するとともに、平成元年度昇給及び諸要求事項について、直近の時期に団体交渉を開くよう重ねて会社に団体交渉を申し入れた。

二月二一日、会社は、吉川ら三名の右行為について、「職場の秩序を乱し、上司らの業務を妨害する行為である。」として、厳重に警告するとともに、責任追及(懲戒処分等を含む。)の権利を留保しておく旨の「警告並びに通告書」を会社掲示板に貼付した。

(5) 三月一〇日、会社は、組合からの再三にわたる団体交渉申入れに対し、「会社は回答を変更する意思はなく、今までの説明に付け加えるべき説明もないので、これ以上交渉を重ねても無意味である。組合があくまでも団体交渉の開催を望むのであれば、諸要求事項と平成元年度昇給についての会社回答を議題とする団体交渉を三月一四日に開催する用意があるので、これに応諾する場合は文書で通知されたい。」との「回答並びに申入書」を組合に手交した。

三月一四日、団体交渉が行われ、冒頭、組合は、今井総務部長に団体交渉申入書を破棄した件について謝罪を求めたが、同部長は「議題にない。」の一点張りで取り合わず、開始後二五分程で他の会社側出席者とともに退席してしまったため、何ら実質的協議はなされなかった。

(6) 三月一五日、組合は、会社の交渉態度に抗議するとともに、「今井総務部長の団体交渉申入書破棄行為についての謝罪、吉川ら三名に対する警告処分の撤回、昇給の妥結調印月実施の撤回」を会社に要求した。

三月二七日、会社は、「組合の三月一五日付け要求書の三項目は受け入れられない。会社は、組合が双方合意の議題を遵守することを条件に、改めて三月二九日に団体交渉を開催する用意があるので、これに応諾する場合は文書で通知されたい。」との「回答並びに申入書」を組合に手交した。

三月二九日、団体交渉が行われたが、平成元年度昇給及び諸要求事項のいずれについても進展はなかった。

四月三日、組合は、重ねて会社に団体交渉を申し入れたが、会社はこれに応じず、逆に四月一四日に団体交渉を行うことを組合に申し入れた。

四月一四日、団体交渉が行われたが、平成元年度昇給及び諸要求事項のいずれについても進展はなかった。

(7) 四月一七日、組合は、重ねて会社に団体交渉を申し入れたが、会社はこれに応じなかった。

四月二一日、会社は、「今後交渉を重ねても、会社は会社回答を変更する意思はない。しかしながら、組合が会社回答による妥結・調印のための団体交渉を望むのであれば、平成元年度昇給及び諸要求事項についての会社回答による妥結・調印を議題とする団体交渉を四月二八日に開催する用意があるので、これに応諾する場合は当日出席されたい。」との「回答並びに申入書」を組合に手交した。

四月二八日、組合は、会社の交渉態度に抗議するとともに、団体交渉における資料の提示や昇給の妥結調印月実施の撤回等を求めたが、会社はこれに応じなかった。

同日、組合と会社は、一月二五日付け会社回答のとおり妥結・調印し、これにより平成元年度昇給は確定した(<証拠略>)。

(五) 諸要求事項に関する団体交渉

(1) 組合は、従前から会社に要求していた諸要求事項を一四項目にまとめ、これについて団体交渉を行うよう、昭和六三年一二月二六日から三回にわたって会社に申し入れた。諸要求事項のうち第四ないし第一四項(以下「<4>ないし<14>項」のようにいう。)に掲げる一一項目(以下「一一項目要求事項」という。)について従前組合が団体交渉を申し入れた事項は、<6>ないし<8>、<10>及び<11>項の五項目であり、このうち昭和六三年一二月二六日以前に団体交渉が行われたのは、<8>及び<10>項についての昭和五八年一一月二八日と、<11>項についての昭和五九年七月二五日及び八月七日の計三回だけである。この三回の団体交渉で、会社は、組合の要求を拒否する回答をしたのみで、その根拠等について説明するようなことはなかった。

平成元年一月一三日、会社は、組合に回答書を手交した。この中で会社は、「現行労働条件及び就業規則を変更する意思はなく、労使間の交渉の結果双方の主張が平行線で終了している事項について団体交渉を行うことは無意味である。」旨述べるとともに、<4>、<5>、<13>、<14>項についていずれも回答(拒否)済みである旨、<6>、<7>項についていずれも就業規則どおりである旨、<8>ないし<12>項についていずれも現行どおりである旨回答しただけで、組合の団体交渉の申入れには応じなかった。

(2) 一月二五日、組合は、一一項目要求事項について会社が組合との団体交渉に応じないのは不当労働行為であるなどとして、都労委に対し救済申立てをした。

一月二七日、会社は、同月三〇日に開催が予定されていた平成元年度昇給についての会社回答を議題とする団体交渉の議題として、新たに諸要求事項についての一月一三日付け会社回答を追加する旨組合に通告した。

一月三〇日、団体交渉が行われたが、当初から予定されていた平成元年度昇給の協議のみで予定時間が経過し、諸要求事項を協議するには至らなかった。なお、当日の団体交渉の議題追加理由について、今井総務部長は、席上、「無意味で無駄だけれども、あなたたちが都労委へ申立てをしてまでも団体交渉をやって欲しいというからやるんだ。」という趣旨のことを述べた。

(3) 一月三一日、組合は、平成元年度昇給と諸要求事項について団体交渉を行うよう会社に申し入れたが、前記((四)の(2))のとおり、会社はこれに応じず、諸要求事項に対する一月一三日付け会社回答のみを議題とする団体交渉を二月七日に行うことを組合に申し入れた。

二月七日、団体交渉が行われた。冒頭、「要求趣旨を説明したい。」とする組合と「その必要はない。」とする会社との間で団体交渉の進め方について主張が対立したが、結局、組合は要求趣旨の説明をすることになった。そして、会社は、<1>項から順次会社回答について説明を行ったが、その内容は一月一三日付け会社回答の内容を一歩も出るものではなかった。また、<14>項については具体的に協議するには至らなかった。

(4) 二月七日の団体交渉終了時、組合は、重ねて会社に団体交渉を申し入れた。しかし、前記((四)の(3))のとおり、会社はこれに応じず、逆に平成元年度昇給についての会社回答による妥結・調印を議題とする団体交渉を申し入れたが、組合の団体交渉応諾書に異議を唱え、結局団体交渉は行われなかった。

その後も組合は、繰り返し会社に団体交渉を申し入れた。しかし、前記((四)の(5)及び(6))のとおり、会社はこれに応じず、逆に平成元年度昇給と諸要求事項についての会社回答を議題とする団体交渉を申し入れ、これに組合が応じる形で三月一四日、二九日、四月一四日と団体交渉が設定されたが、いずれも諸要求事項を協議するには至らなかった。

四月一七日、組合は、重ねて会社に団体交渉を申し入れた。しかし、前記((四)の(7))のとおり、会社はこれに応じず、逆に平成元年度昇給と諸要求事項についての会社回答による妥結調印を議題とする団体交渉を申し入れ、これに組合が応じる形で四月二八日に団体交渉が設定された。

四月二八日、団体交渉が行われたが、平成元年度昇給について妥結・調印した後、組合が諸要求事項の協議に入ろうとすると、会社は、「妥結・調印でなければ団体交渉はしない。」と言って、開始後約四〇分で退席したため、諸要求事項を協議するには至らなかった。

(5) その後も組合は、繰り返し諸要求事項について会社に団体交渉を申し入れたが、会社はこれに応じず、逆に平成元年度夏期賞与及び諸要求事項についての会社回答を議題とする団体交渉を申し入れ、これに組合が応じる形で六月六日に団体交渉が設定された。

六月六日、団体交渉が行われたが、平成元年度夏季賞与についての協議だけで終わり、諸要求事項を協議するには至らなかった。

六月七日、組合は、諸要求事項について重ねて団体交渉を申し入れたが、会社はこれに応じず、逆に平成元年度夏季賞与及び諸要求事項についての会社回答による妥結調印を議題とする団体交渉を申し入れ、これに組合が応じる形で六月一四日に団体交渉が設定された。

六月一四日、団体交渉が行われたが、平成元年度夏季賞与についての協議が一時間一五分程で終わった後、会社が予定時間の残り一五分で諸要求事項について妥結・調印するよう組合に迫り、組合はこれを拒み、時間切れとなって終了した。

(6) その後も組合は、繰り返し諸要求事項について会社に団体交渉を申し入れたが、会社はこれに応じず、組合に要求事項の整理を要求したり、「一月一三日付け会社回答のとおりである。」という趣旨の「回答並びに団体交渉申入書」を組合に手交するなどし、これに対して組合が「抗議並びに団体交渉申入書」を会社に提出する、といったやりとりが半年余りの間に一〇数回繰り返された。

平成二年一月三一日、会社は、「諸要求事項についてもはや団体交渉を行う意味はない。一月一三日付け会社回答は最終回答であり、会社はこれを変更する意思はない。しかしながら、組合が執拗に無意味な団体交渉の開催を要求するので、会社は今回に限り、一月一三日付け会社回答及び同回答による妥結・調印を議題として二月二八日に団体交渉を開催することにしたので、これに応諾する場合は文書で通知されたい。」との「回答並びに申入書」を組合に手交した。

二月七日、組合は、「誠実に議論することを前提として団体交渉に応諾する。」旨記載した団体交渉応諾書を会社に提出した。

二月二八日、団体交渉が行われたが、冒頭、今井総務部長は、「今日は妥結・調印するのかしないのか。」と言って妥結・調印の確約を迫り、組合側がこれを拒否すると、「妥結・調印でなければ団体交渉しない。」と言って、開始後一〇数分で他の会社側出席者とともに退席した。

(7) その後も組合は、繰り返し諸要求事項について会社に団体交渉を申し入れたが、会社はこれに応じず、「組合は、これまで双方合意の妥結・調印という議題を信義則に反して三回も無視し、妥結・調印できるはずがないと平然と合意に反する放言をした。組合のこのような不誠実な態度に照らすと、会社は、諸要求事項についてこれ以上交渉を開催しても妥結・調印はされないものと思料する。」「一月一三日付け会社回答のとおりである。今までに団体交渉については三三回も回答している。」といった趣旨の「回答並びに団体交渉申入書」を組合に手交し、これに対して組合が「抗議並びに団体交渉申入書」を会社に提出する、というやりとりが繰り返された。

(8) 平成三年一二月一七日、都労委は、会社に対し一一項目要求事項について誠意をもってすみやかに団体交渉に応じることなどを命じる初審命令を発した。

平成四年二月四日、組合は、初審命令に沿って一一項目要求事項について会社に団体交渉を申し入れたが、会社はこれに応じず、二月六日、初審命令を不服として、被告に対し再審査の申立てを行う一方、二月一〇日付け書面で「一一項目要求事項は諸要求事項と重複しているので、組合において整理されたい。」と回答した。

二月一二日、組合は、「一一項目要求事項は、諸要求事項の<4>ないし<14>項を改めて要求したものである。」との申入書を会社に提出するとともに、一一項目要求事項について重ねて団体交渉を申し入れたが、会社はこれに応じず、「組合の二月一二日付け文書によれば、二月四日付け要求は諸要求事項を改めて要求したものとのことであるので、諸要求事項を取り下げられたい。取下げがあり次第、改めて回答する。」と回答し、三月一八日になされた組合の抗議及び団体交渉申入れに対しても、三月二七日付けの文書で「同一内容の要求事項の片方の撤回(整理)を重ねて申し入れる。」と回答した。

六月二三日、組合は、一一項目要求事項について重ねて団体交渉を申し入れたが、会社はこれには応じず、逆に三月二七日付け会社回答を議題とする団体交渉を申し入れ、これに組合が応じる形で七月八日に団体交渉が設定された。

七月八日、団体交渉が行われたが、席上、会社は、「一一項目要求事項は二重要求だから、諸要求事項を撤回しない限り、団体交渉には応じられない。」との対応に終始し、僅かに育児休業の件について交渉に応じたのみで、それも「規定は作ってあるが、該当者がいないので発表しない。」と言っただけであり、その他の一〇項目については全く協議するに至らなかった。

(9) その後、組合は、一一項目要求事項について一括して団体交渉を申し入れる方法を改め、従業員の要求度の高いもの、あるいは夏休みの問題など交渉時期の迫っているものについて、一項目ずつ団体交渉を申し入れるよう方針を変更し、平成四年七月八日以降平成六年七月末までの間に、<10>項につき四回(平成四年九月二日、平成五年九月一日、一〇月五日、二八日)、<11>項につき七回(平成四年七月一七日、平成五年七月一三日、二七日、八月三日、平成六年六月二八日、七月八日、二六日)、<14>項につき六回(平成四年一〇月一六日、二七日、一二月一六日(以上忘年会について)、平成五年七月一三日、二七日、八月三日、(以上ビアパーティーについて))の計一七回にわたって会社に団体交渉を申し入れたが、このうち団体交渉が行われたのは後記((10)ないし(12))の三回だけであった。

(10) 平成四年七月一七日、組合は、<11>項について、会社に団体交渉を申し入れた。

これを受けて、七月二九日に「夏休み休暇」を議題とする団体交渉が行われ、席上、会社は、「夏休み休暇は年次有給休暇を利用して取得されたい。現在実施中のサマータイム(夏季二か月の間、一日三〇分、計二一・五時間の時間短縮)は約三日間の有給休暇に相当する。」旨記載した回答書を組合に手交し、組合の要求を拒否する理由として、「会社の年間総労働時間は一八一六時間と短く、トップクラスである。」ことを挙げたものの、組合の「昭和五九年の就業規則改定により慶弔休暇や生理休暇等が無給化されたため、有給休暇を取得してこれに当てざるを得ないし、会社には他の企業にあるような特別休暇制度がないから、是非導入を検討して欲しい。」との要請に対しては、「ノーワーク・ノーペイだ。慶弔休暇でも生理休暇でも、懲戒の対象にならない欠勤だから取ればよい。」と述べただけで、それ以上の説明はしなかった。

(11) 平成四年九月二日、組合は、<10>項について、会社に団体交渉を申し入れた。

これを受けて、九月一一日に「三〇分の時間短縮」を議題とする団体交渉が行われ、席上、会社は、「こんな要求するなんてどうかしている。今日は話すこともないのではないか。」「会社の年間総労働時間は一八一六時間と短く、トップクラスである。」「これ以上時短をしたら会社がつぶれてしまう。うちの会社で働く人がいなくなれば、そのときは考えるが、今は皆やめない。ビタ一分も時短はしない。」などと発言して組合の要求を非難しただけで、組合の要求を拒否する理由について具体的な根拠を示して説明することはなかった。

(12) 平成五年九月一日、組合は、<10>項について会社に団体交渉を申し入れた。

これを受けて、九月二七日に「就業時間の短縮」を議題とする団体交渉が行われ、席上、会社は、「就業時間の短縮については現行どおりとする。」旨記載した回答書を組合に手交し、組合の要求を拒否する理由として「現在の経営状態からして、増員・時短を行う余裕はない。世間と比較して、会社の実働時間は極めて短い。」ことを挙げ、会社における労働時間及び平成四年における一般正規従業員の年次有給休暇取得状況に関する会社作成の資料、所定労働時間と休日日数、週休二日制の実施状況、年次有給休暇の付与日数及び年次有給休暇の取得日数・取得率に関する労政時報資料を提示したが、会社の経営状態が時間短縮の障害となる根拠については、資料等を示して説明することは一切なかった。

一〇月五日、組合は、会社の交渉態度に抗議し、月別内注・外注件数及び金額等、会社の拒否回答の根拠を明らかにすることなどを求めたが、会社は、「これ以上交渉を重ねても無意味である。」旨の回答書を組合に手交し、これに応じなかった。

(13) その後組合は、改めて要求事項を別紙四記載の一五項目(以下「一五項目要求事項」という。)に整理し直し、平成六年六月二八日から三回にわたって、<1>項(一一項目要求事項の<11>項と同じ)(ママ)ついて会社に団体交渉を申し入れた。

これに対し、会社は、「夏休みは、従来どおり各自の年次有給休暇を利用して取得されたい。なお、七月一八日から九月一四日までの予定で実施しているサマータイム(二一・五時間の就業時間短縮)は約三日間の有給休暇に相当する。」「<2>項から<15>項についてはいずれも現行どおりとする。」旨回答し、組合の団体交渉の申し入れには応じなかった。

八月三〇日、組合は、一五項目要求事項全部について会社に団体交渉を申し入れたが、会社はこれに応じず、逆に一五項目要求事項に対する会社回答を議題とする団体交渉を申し入れ、これに組合が応じる形で九月一三日に団体交渉が設定された。

九月一三日、団体交渉が行われ、席上、会社は、<13>項(一一項目要求事項の<9>項と同じ)について、「会社の移転先(新橋)のレイアウト・プランに含まれている。」旨回答したが、<1>項(同<11>項と同じ)、<2>項(同<10>項と同じ)については、「永久に実施しないわけではないが、年間総労働時間は短い方である。」と、<6>項(同<6>項と同じ)については、「ノーワーク・ノーペイである。」と述べるだけで、組合の要求を拒否する理由について具体的に説明することをせず、その他<3>、<5>、<7>、<11>項について会社回答を若干補足する説明をしたが、その余の要求事項については時間切れのため具体的な協議には至らなかった。

(14) その後も組合は、一五項目要求事項について繰り返し団体交渉を申し入れたが、会社は、「九月一三日の団体交渉は、双方の主張が平行線のまま終了した。会社は会社回答を変更する意思はない。これ以上交渉を重ねることは無意味である。」として、これに応じなかった(<証拠・人証略>)。

三  主たる争点

1  団体交渉拒否につき不当労働行為(労働組合法(以下「労組法」という。)七条二号)の成否

2  守る会に対する経費援助につき不当労働行為(労組法七条一、三号)の成否

3  初審命令主文第一項を維持した部分にかかる救済利益の有無

4  初審命令主文第二項を維持した部分にかかる救済利益の有無

5  初審命令主文第三項を維持した部分にかかる救済利益の有無

(原告の主張の要旨)

1  団体交渉拒否の不当労働行為の不成立

(一) 団体交渉の日時・議題等の設定は当該労使の交渉に委ねられた問題であるから、組合が使用者の申し入れた団体交渉ルールについて不承不承でも応諾のうえ団体交渉が行われた以上、その点の合意が成立したことは疑いを入れないのであり、一旦合意に至りながらそのプロセスにおける使用者の対応や提案を非難することは筋違いである。しかも、本件では、組合から団体交渉の申入れがあれば、大半の場合その都度現実に団体交渉が行われ、合意のうえ協定を調印していることに留意する必要がある。

(二) 一一項目要求事項に関する団体交渉について

(1) <13>項は、義務的団体交渉事項ではない。

(2) <8>、<10>及び<11>項については、会社は、組合の昭和六三年一二月二六日の団体交渉申入れ以前に団体交渉を行っており、その際、自らの回答を明確にし、その根拠について十分な説明を加えており、その結果、双方の主張の隔たりが大きく、互譲の余地のないことが明らかとなったのであるから、その時点において団体交渉義務は消滅したというべきである。

(3) <4>、<8>、<10>、<11>及び<12>項については、組合は、棚上げ協定によって、今後団体交渉の議題としないことを確約したのであるから、これを議題とし得るのは、会社が合意することを除けば、右協定を適法に破棄するか、あるいは著しい事情変更が生じ、団体交渉をする高度の必要性が生じた場合に限られるはずである。しかるに、本件においては、右協定の対象たる事項について団体交渉をすることにつき、使用者側の同意や協定破棄のないことはもちろん、著しい事情変更があって団体交渉をする高度の必要性が生じたとはいえない。したがって、右各項目は、団体交渉の議題とはなし得ない。

(4) その他の項目(<5>ないし<7>、<9>、<14>項)については、組合の昭和六三年一二月二六日の団体交渉申入れ以前に文書による意見交換が十分に行われているから、組合は会社の見解を熟知している。したがって、一切話し合いが行われていない実態にはない。

(三) 昇給及び賞与に関する団体交渉について

(1) 会社は、団体交渉の日時について、団体交渉申入れから可能な限り近い時期を提案して組合に団体交渉を申し入れている。また、会社は第一回目の団体交渉の議題を「組合の要求に対する会社回答」としているが、この議題は組合の要求している議題と何ら変わるところはないし、第二回目又は第三回目の団体交渉の議題を「会社回答による妥結・調印」に限定したのは、会社としては提示できるものは全て提示し、双方の主張が完全にデッドロックに乗り上げている状態の中で、是非会社回答案で妥結・調印してほしいという強い希望の表示であって、この程度の交渉テクニックは許されてしかるべきである。さらに、会社は、組合が文書等で応諾しない限り、団体交渉に応じないという場合もあるが、団体交渉の日時、議題等につき労使双方が合意をするに際して、正確を期すため文書を用いることは非難される事柄ではない。

なお、会社の昇給は原則として毎年二月に行うが、昇給査定が各課から上がってくるのは早くても一月半ば過ぎであり、その後給与委員会での調整を経て昇給の原資枠が最終的に決定されるので、昇給の会社回答は、例年一月終わりから二月初めにならざるを得ず、第一回の団体交渉の期日が一月末となるのはやむを得ない。昇給の二月実施について一月末に回答すれば約一か月間の検討期間があり、分会に検討の困難を強いるものではない。

(2) 会社は、昇給及び賞与は昨年並みとするという方針を採用しているところ、この方式は業績に無関係な安定した昇給・賞与の支給を意図するという正当な動機に基づくものであり、従業員にとっても業績の好不調にとらわれず、安定した収入を得られるという点で極めて望ましい回答方式である。そして、昨年並みを前提とする限り、関係資料は前年度の協定書のみであるところ、協定書は組合も所持し、熟知しているものであるから、団体交渉の場で提示するまでもない。したがって、昇給及び賞与について、他にどのような資料を提示すべきか説明を放棄している本件命令には重大な瑕疵がある。

2  守る会に対する経費援助につき不当労働行為の不成立

諸行事は、社交上に属するものであり、そもそも「不利益取扱い」(労組法七条一号)には該当せず、したがって、不利益取扱いが前提となる「支配介入」(同条三号)も成立の余地はない。また、諸行事は、従業員が自主的に結成、運営している、会社とは別の独立した任意団体である守る会が主催しているものであるから、会社の福利厚生の一環としての行事とみなすことはできない。しかも、分会の組合員は、諸行事に参加を申し込んだ形跡はないから、救済の利益自体認められないというべきである。

仮に、諸行事が従業員の福利厚生の一環であるとすると、本件命令は従業員の福利厚生の廃止を命じたことになるが、そのような命令は労働委員会の裁量権を逸脱しており、違法である。

3  初審命令主文第一項を維持した部分にかかる救済利益の消滅

一一項目要求事項については、次のとおり、遅くとも本件命令発出時には団体交渉を命じる救済利益が消滅していた。

(一) <6>項について

本項中、慶弔休暇については、平成五年一月一日から賃金カットをしない取扱いになっており、当該部分は要求が実現している。

(二) <7>項について

山本廣子は、平成五年九月二一日死去とともに退職扱いとなっており、本項については右時点で救済利益が消滅している。

(三) <9>項について

休憩室の設置要求(平成六年六月二八日付けで休養室設置要求に変更)は、同年一一月二八日会社移転に伴い休憩室が設置されたことにより、実現している。

組合は平成八年になって男女別の休養室の要求を出しているが、これは新しい要求事項であり、<9>項とは別の問題である。

(四) <11>項について

会社は、従前から夏時間について二か月間就業時間を三〇分短縮するということで誠意を示している。組合も、従来「七日間」の夏休みを要求していたが、平成六年六月以降は単に「夏休みを設けること」という要求に変更し日数の要求は行っていない。

(五) <12>項について

平成四年五月一日から実施された特許庁の土曜閉庁化に伴い、全土曜日が一般休暇日となっており、本項については右時点で救済利益が消滅している。

(六) <14>項について

守る会は、平成四年一二月から守る会主催の諸行事について所要経費の援助を会社に申し入れることを中止し、会社も今後一切行わない旨決定した。それに伴い、会社は諸行事の経費援助を一切廃止し、一方で平成五年一月以後、新年会、忘年会、旅行を会社主催で行うこととし、分会の組合員も積極的にこれに参加している。

(七) その他

その他の事項について、会社は、要求に応じられない理由を明示し、その根拠を示し、資料を加えて説明しており、誠実に対応しているので、救済利益は消滅している。

4  初審命令主文第二項を維持した部分にかかる救済利益の消滅

会社は、平成五年度以降、会社回答が他社と比較して遜色ないことを示すため、各種資料を団体交渉の席上組合に提示している。したがって、遅くとも本件命令発出時には関係資料の提示等を命じる救済の利益は消滅していた。

5  初審命令主文第三項を維持した部分にかかる救済利益の消滅

守る会は、平成四年一二月から守る会主催の諸行事について所要経費の援助を会社に申し入れることを中止し、会社も今後一切行わない旨決定した。それに伴い、会社は、諸行事の経費援助を一切廃止し、一方で平成五年一月以降、新年会、忘年会、旅行を会社主催で行うこととし、分会の組合員も積極的にこれに参加している。したがって、遅くとも本件命令発出時には、守る会主催の諸行事に対する経費援助を禁止する救済の利益は消滅していた。

(被告の主張)

被告の発した本件命令は、労組法二五条及び二七条並びに労働委員会規則五五条の規定に基づき適法に発せられた行政処分であって、処分の理由は本件命令書記載のとおりであり、被告の認定した事実及び判断に誤りはなく、原告の主張には理由がない。

(補助参加人らの主張の要旨)

1  不当労働行為性について

一一項目要求事項に関する団体交渉の拒否、昭和六三年度昇給、同年度夏季及び冬季賞与並びに平成元年度昇給に関する団体交渉における不誠実な対応、守る会に対する経費援助がいずれも不当労働行為に該当するものであることは、本件命令における認定・判断のとおりである。

2  初審命令主文第一項にかかる救済利益があること

(一) <7>項について

山本廣子が死亡しても、損害賠償等の支払や組合に対する謝罪等の問題は解決されていないので、救済利益は消滅していない。

(二) <9>項について

新設された休憩室(休養室)は、組合が要求している男女別ないし女性専用ではないので、救済利益は消滅していない。

(三) <12>項について

会社が全土曜日を一般休暇日とした取扱いは「当分の間(期間は未定)」に限って実施されたものであり、就業規則にも明記されていない。また、一般休暇日は労働基準法(以下「労基法」という。)三七条等にいう休日と異なり、出勤して労働した場合にも割増賃金を支給されない。したがって、土曜日を割増賃金の支給される休日として就業規則に明記させる必要があるので、救済利益は消滅していない。

(四) <14>項について

会社は、諸行事からの分会の組合員の排除について、組合に謝罪をしておらず、分会の組合員が諸行事から排除されたことによって被った損害を賠償する姿勢もない。諸行事の問題は、労使関係の正常化の観点から、団体交渉の場で決着をつけるべきであるので、救済利益は消滅していない。

3  初審命令主文第二項にかかる救済利益があること

初審命令発出後会社が提出している資料は、昇給及び賞与に関する会社回答の根拠・説明とは全く関係のないものばかりである。組合が求めている資料は、業績、新願件数、中間書類の件数、審査請求の件数、原資枠等であるが、それらは全く明らかにされていない。したがって、救済利益は消滅していない。

4  初審命令主文第三項にかかる救済利益があること

会社は、諸行事からの分会の組合員の排除について、組合に謝罪をしておらず、分会の組合員が諸行事から排除されたことによって被った損害を賠償する姿勢もない。また、会社主催の諸行事がいつ守る会の主催に変わるかもしれない不安がある。したがって、救済利益は消滅していない。

第三争点に対する判断

一  争点1(団体交渉拒否につき不当労働行為の成否)について

1  憲法二八条は労働者の団体交渉をする権利を保障し、これを受けて労組法七条二号は使用者の正当な理由のない団体交渉拒否を不当労働行為として禁止している。団体交渉は、労働者の団体がその団結力を背景として、その構成員の労働条件について、労使対等の立場に立って自主的に交渉することをその本質とするものであり(労組法一条参照)、右憲法及び労組法の規定による団体交渉権の保障も、このような団体交渉を保障することを目的としたものと解される。したがって、使用者が団体交渉の要求を全面的に拒否し、あるいは団体交渉の申入れを事実上無視したりするような場合はもちろん、団体交渉自体は行われたものの、使用者が労働者の団体交渉権を尊重して誠意をもって団体交渉に当たったとは認められないような場合も、前記労組法の規定により不当労働行為とされる団体交渉拒否に当たるものと解される。

そして、使用者が労働者の団体交渉権を尊重して誠意をもって団体交渉に当たったかどうかについては、団体交渉の申入れの段階における対応、団体交渉の場において労使の対立点を可能な限り解消させる努力を行っていたか、そのための方法として、客観的具体的根拠を示して説明するなど相手方の納得を得るよう努力したか、最終的には双方が合意に達したとしても、団体交渉の過程における使用者の対応が労働者の団体交渉権を尊重した誠実なものであったかなどの観点から検討して判断されるべきものと解される。したがって、団体交渉の日時・議題等が労使間で合意された以上、そのプロセスは問題とはならないとの会社の主張、あるいは、組合からの団体交渉の申入れに対して大半は合意のうえ協定を調印しているので、団体交渉を尽くしたことになるとの会社の主張は理由がない。

このような見地から、以下、本件団体交渉における会社の対応について検討する。

2  一一項目要求事項に関する団体交渉について

(一) 前記(争いのない事実等4の(五))のとおり、会社は昭和六三年一二月二六日に組合から一一項目要求事項を含む諸要求事項について団体交渉の申入れを受けたのに、平成元年一月一三日に文書で拒否回答をしただけでこれに応じなかったこと、組合が右団体交渉拒否等について労働委員会に救済申立てをしたため、会社は急遽団体交渉の議題として諸要求事項を追加して団体交渉を行ったものの、そこにおける会社の説明は先の文書回答の内容を一歩も出るものではなく、何らの根拠等も示していなかったこと、会社は、双方の主張は平行線でありこれ以上の交渉は無意味であるとして組合からの団体交渉の申入れに応じず、逆に会社回答を議題とする団体交渉を申し入れ、これに組合が応じる形で何回か団体交渉が設定されたが、いずれも諸要求事項について具体的な協議をするには至らなかったこと、それにもかかわらず会社は、組合からの団体交渉の申入れを拒否して、会社回答による妥結・調印を議題とする団体交渉を申し入れ、会社回答による妥結・調印でなければ団体交渉に応じないとして具体的な協議を拒否したこと、会社はその後も組合からの団体交渉の申入れを拒否し続け、組合が初審命令に沿って一一項目要求事項について団体交渉を申し入れた際にも、諸要求事項と重複するとしてこれに応じず、逆に諸要求事項又は一一項目要求事項のいずれかの撤回を議題とする団体交渉を申し入れ、こうして設定された団体交渉の席では、組合が諸要求事項を撤回しない限り団体交渉には応じないとして具体的な協議を拒否したこと、その後も会社は組合から一〇数回にわたり個別要求事項について団体交渉の申入れを受けたのに、約二年間の間に三回しか団体交渉を行わなかったこと、右の三回の団体交渉では、<10>項及び<11>項に関する協議がなされたが、会社は組合の要求を拒否するだけで、拒否回答の具体的な根拠等を示さず、対立点を可能な限り解消させようとの努力もしていないこと、その後も会社は組合から一一項目要求事項の<6>、<8>ないし<11>項を含む一五項目要求事項について団体交渉の申入れを受けたが、文書で拒否回答をしただけでこれに応じず、右会社回答を議題とする団体交渉を申し入れて設定された団体交渉においても、要求事項の半分以上は協議されず、また協議された事項についても双方の主張の対立を埋めるような協議はされなかったにもかかわらず、会社はその後本件命令発出までの間、組合からの団体交渉の申入れに一切応じなかったというのである。以上一連の会社の対応は、会社が組合の団体交渉権を尊重して誠意をもって団体交渉に当たったものとは到底認められず、労組法七条二号にいう団体交渉の拒否に当たり、不当労働行為になるというべきである。

(二) 会社は、<13>項は義務的団体交渉事項ではないと主張する。

前記団体交渉権保障の趣旨に照らすと、使用者が団体交渉を行うことを労組法によって義務づけられている事項(義務的団体交渉事項)とは、団体交渉を申し入れた労働者の団体の構成員たる労働者の労働条件その他の待遇や当該団体的労使関係の運営に関する事項であって、使用者に処分可能なものをいうものと解される。

これを<13>項についてみると、その文言だけからすると、指揮命令系統や職務の範囲等使用者の専権に属する業務命令権や人事権に関する事項のようにも見えるが、(証拠略)によれば、組合が<13>項の要求をする趣旨は、会社内における仕事の命令系統、従業員の仕事の範囲及び責任範囲が不明確である結果、業務の遂行上混乱が生じるため、これらを解消する必要があるとの考えによることが認められる。そうであれば、組合の要求の趣旨は、会社の業務命令権や人事権に介入しようとするものではなく、それらの権限の行使の結果もたらされる分会の組合員の労働条件に関する事柄について改善を求めるものと認められ、その限りで<13>項は義務的団体交渉事項に含まれるというべきである。

(三) 会社は、<8>、<10>及び<11>項については、昭和六三年一二月二六日の団体交渉申入れ以前に行われた団体交渉の結果、労使双方の主張の隔たりが大きく互譲の余地のないことが明らかであったから、既に団体交渉義務は消滅していた旨主張する。

同日の団体交渉の申入れ以前における諸要求事項についての団体交渉の開催状況等は、前記(争いのない事実等4の(五)の(1))のとおりであり、会社は結論を述べるだけで、具体的な内容に関する説明さえしておらず、双方の間で実質的な協議を行った末、これ以上交渉の進展の余地がなくなったと認めるに足りる証拠もないから、会社の右主張は理由がない。

(四) 会社は、<4>、<8>、<10>ないし<12>項については、昭和六三年一二月二六日の団体交渉申入れ以前に棚上げ協定が成立しており、もはや団体交渉議題とはなし得なくなっていた旨主張するので、以下検討する。

(証拠略)によれば、昭和五九年一月一〇日、会社の今井総務部長は、分会の村上分会長に対し、次のような協定書案、すなわち、冒頭に「組合の昭和五八年八月一五日付け及び一一月二一日付け要求事項について」と記載があり、その一項に昭和五八年度の冬季賞与に関する会社回答が記載され、二項には「その他の要求事項についてはすべて棚上げとする。」と記載された協定書案を提示したこと、同月一二日、組合は、右協定書案の二項に記載された「棚上げ」という文言が不明確であり、新たな紛争が生じる可能性があるとして、削除するか、「今後協議する」に文言を改めるよう会社に申し入れたところ、会社が、同月一七日、「「棚上げ」の意味が不明確とのことでありますが、これは貴要求事項の一部を前記2の理由によって棚上げすることであります。」と記載された書面を組合に手交したこと、右でいう「前記2」の箇所には、「本件は、貴昭和五八年一一月二一日付け一括要求に対し会社が一括回答し、合意によって一括審議・一括交渉をしており、一括解決するのが妥当である。会社は貴要求事項に対する会社回答を変更する意思はない。したがって、貴要求事項について充分審議を尽くし双方の主張が全く平行線である以上、引き続き協議することは無意味である。」旨記載されていたこと、しかしながら、同月一〇日に協定書案が示された段階で、今井総務部長と村上分会長は、右協定書案にいう「棚上げ」の意味が「問題の解決を一時先に延ばすこと」であることを、国語辞典を引きながら確認したことが認められる。

以上の事実によれば、会社と組合は、棚上げ協定によって、組合の昭和五八年八月一五日付け及び一一月二一日付け要求事項について、一時的に団体交渉の議題としないことを合意したものと認められ、それ以上に今後一切団体交渉の議題としないことを合意したものとまでは認められないうえ、昭和六三年一二月二六日における右団体交渉の申入れの時点においては、棚上げ協定の成立後既に三年を経過していることを考慮すれば、会社の右主張は理由がない。

(五) 会社は、その他の要求事項(<5>ないし<7>、<9>、<14>項)について、昭和六三年一二月二六日の団体交渉申入れ以前において、文書による意見交換を十分に行っていたから、組合は会社の見解を熟知していたのであり、一切話し合いが行われなかったという実態にはない旨主張する。

しかし、団体交渉は、労使双方が協議することにより意見の対立点を解消することを目的とするものであるから、直接相まみえて話し合う方式によるのが原則であるというべきであり、特段の事情がない限り、書面の交換によって団体交渉に代えることはできないというべきところ、本件においては、このような特段の事情を認めるに足りる証拠はないから、会社の右主張を採用することはできない。

3  昭和六三年度昇給、同年度夏季及び冬季賞与並びに平成元年度昇給に関する団体交渉について

(一) 前記(争いのない事実等4の(一)ないし(四))のとおり、会社は、組合からの団体交渉の申入れには一度も応じたことはなく、常に会社回答ができるのを待って会社回答を議題とする団体交渉を逆に申し入れるというスタイルを堅持していたこと、右申入れに組合が応諾する形で設定された第一回目の団体交渉の場において、会社は先に示された会社回答を口頭で繰り返すだけで、その根拠については「世間並み」「昨年並み」と言うだけで、具体的に説明したり資料等を提示したりすることもせず、賞与算定の基礎となる考課基準さえ明示することを拒否し続けたこと、このように第一回目の団体交渉では実質的な論議が行われていないにもかかわらず、会社は、双方の主張は平行線でありこれ以上の団体交渉は無意味であるとして、その後の組合からの団体交渉の申入れに応じず、逆に会社回答(昇給については妥結調印月実施条項を含むもの)による妥結・調印のみを議題とする団体交渉を申し入れ、この議題に組合が少しでも異議を唱えると直ちに団体交渉を拒否するという態度に出て、結果的に会社回答による妥結・調印を余儀なくするという手法を繰り返していたのである。以上一連の会社の対応は、根拠や資料等を示すことなく、組合に一方的に会社回答を押しつけるものと非難されても仕方のないものであって、対立点を解消するための努力を行っておらず、到底誠実な対応とは認められないから、労組法七条二号にいう団体交渉の拒否に当たり、不当労働行為というべきである。

(二) 会社は、組合の団体交渉の申入れから可能な限り近い時期を提案して団体交渉を申し入れているなどとして、会社の申入れにかかる団体交渉の日時・議題の設定、文書応諾を求めている点は何ら非難されるべき事柄ではない旨縷々主張する。

しかし、会社の右一連の対応は、一回限りこのような対応をとったというのではなく、会社回答を議題とする団体交渉を一度形式的に行った後は、組合からの団体交渉の申入れには応じず、会社回答による妥結・調印のみを議題とする団体交渉を申し入れるという手法を一貫して続けており、この一連の経過に照らすと、会社が昇給及び賞与に関し団体交渉において実質的な協議を行おうとする意思は全く見られないから、会社の右主張は理由がない。

(三) 会社は、昇給及び賞与については昨年並みとする方針を採用しているから、検討資料は前年度の協定書のみで十分である旨主張する。

しかし、賃金の額いかんが労働者にとって最も重要な労働条件の一つであることを考慮すれば、使用者は、労働組合が使用者の回答の具体的根拠を明らかにするよう要求した場合には、必要に応じて資料を提示するなどの方法で、その回答の根拠を具体的に開示して、見解の対立を可能な限り解消させるように努力すべき義務があるというべきところ、「昨年並み」との提示は、会社の目標ないし結論を示すのみであって、到底回答の根拠を示すものとはいえないから、これを繰り返したところで、右努力義務を尽くしたとはいえず、会社の右主張は理由がない。

なお、会社は、本件命令はどのような資料を提示すべきか説明していないから重大な瑕疵がある旨主張するが、本件命令は、資料の選択について組合の要求の程度に応じて会社が裁量により決すれば足りるとしており、初審命令の主文もその意味で理解されるべきものであるから、何ら瑕疵はないというべきである。

二  争点2(守る会に対する経費援助につき不当労働行為の成否)について

1  前記争いのない事実等3の(一)ないし(三)に加え、(証拠・人証略)によれば、守る会は、昭和五四年後半から五五年にかけて従組による組合活動が活発化する中でこれに反発を強めた会社の管理職が中心となって結成されたもので、その勧誘活動は就業時間の内外を問わず公然と行われたこと、従組の脱退が守る会への入会条件となっていたこと、守る会は、発足当時会社から活動費の貸与を受け、その役員は、発足当時全員管理職(課長職)であり、その後も一貫して管理職(課長補佐以上)が中心となっていること、諸行事は従来会社が全従業員を対象にしてその費用を全面的に負担して行ってきたものであるところ、守る会発足後の昭和五九年九月以降は、守る会の主催によって、従組の組合員、後には分会の組合員を排除して行われていたこと、しかし、諸行事の内容自体は従前と同じであり、守る会の会員ではない会社の幹部も従前どおり諸行事に参加していること、会社はこれらの事情を知悉しながら、守る会に対する経費援助を続け、諸行事の実施に要する費用の大半を負担してきたことが認められる。

右に認定した諸事実を総合すると、会社は、従組の組合員、後には分会の組合員が、守る会によって、従組等の組合員であることを理由に、会社の福利厚生の一環としての実質を有する諸行事への参加を拒否され、そのため従業員であれば本来等しく享受できるはずの利益が受けられなくなることを容認しながら、守る会に対する経費援助を続けてきたものというべく、このような会社の取扱いは、分会の組合員が労働組合の組合員であることを理由としてする不利益取扱い(労組法七条一号)に当たり、また、分会の組合員を不利益に取り扱うことによって同組合員の組合活動を抑圧ないし制約し、もって分会の自主的運営・活動を妨害しようとする行為ということができ、支配介入(同条三号)にも当たるものと認められる。

2  会社は、諸行事が福利厚生の一環であるとすると、本件命令は従業員の福利厚生の廃止を命じたことになり、労働委員会の裁量権を逸脱した違法があると主張するが、本件命令は、守る会が分会の組合員を諸行事に参加させない場合に限って、守る会に対する経費援助を禁止しているにとどまり、会社の福利厚生の廃止を命じるものではないから、右主張は理由がない。

三  争点3(初審命令主文第一項を維持した部分にかかる救済利益の有無)について

1  <6>項について

(証拠略)によれば、本項中、慶弔休暇については、平成五年一月一日から賃金カットをしない取扱いになっていることが認められる。

したがって、本件命令発出の時点において、<6>項中「慶弔休暇の月例賃金からのカットをやめること」について団体交渉を行うことを命じる必要性は消滅していたものといえる。

2  <7>項について

(証拠略)によれば、山本廣子は、平成五年九月二一日に死亡し、それに伴い会社を退職したことが認められる。

したがって、本件命令発出の時点において、<7>項について団体交渉を行うことを命じる必要性は消滅していたものといえる。

組合は、山本廣子に対する損害賠償の支払や組合への謝罪等の未解決の問題を解決する必要があるので、救済利益は消滅していない旨主張する。しかし、(証拠略)によれば、組合は、山本廣子が有給休暇の申請を認められなかったことから、これを現実に回復し、同人に有給休暇を取得させることを要求していたことが認められ、これに加えて、昭和六三年一二月二六日の団体交渉の申入れ当時において、同人に対する損害賠償の支払や組合への謝罪等を要求していたことを認めるに足りる証拠はないことからすれば、組合の主張は採用できない。

3  <9>項について

会社事務所の移転に伴い、平成六年一一月二八日に休憩室が設置されたことは、当事者間に争いがない。

したがって、本件命令発出の時点において、<9>項について団体交渉を行うことを命じる必要性は消滅していたものといえる。

組合は、新設された休憩室は男女別ではないから、救済の利益は消滅していないと主張する。しかし、<9>項には文言の上でも「男女別」の要求はないうえ、(証拠略)によれば、組合は、会社の事務所内に昼食をとる場所や体調が悪いときに休む部屋がないことから、これらの用途に使用する場所として休憩室の設置を要求していたことが認められ、これに加えて、昭和六三年一二月二六日の団体交渉の申入れ当時において、男女別休憩室(休養室)の設置まで要求していたと認めるに足りる証拠はないから、組合の右主張は採用できない。

4  <11>項について

会社は、従前から夏時間について二か月間就業時間を三〇分短縮するということで誠意を示していると主張するが、これをもって夏休みの付与を求める<11>項について団体交渉を行うことを命じる必要性が消滅したとはいえない。また、会社は、平成六年六月以降、組合の要求事項から日数が削除されたので団体交渉の必要性が消滅したと主張するが、右事実のみでは、組合が七日間の夏休みの要求を撤回したとまでは認められない。

したがって、<11>項については、団体交渉を行うことを命じる必要性が消滅したものとはいえない。

5  <12>項について

(証拠・人証略)によれば、平成四年五月一日以降、すべての土曜日が労働義務のない一般休暇日となったことが認められる。

したがって、本件命令発出の時点において、<12>項について団体交渉を行うことを命じる必要性は消滅していたものといえる。

組合は、土曜日を労基法三七条等にいう休日と同様の取扱いをするよう就業規則に明記させる必要がある旨主張する。しかし、(証拠略)によれば、組合は、第四週目ごとに出勤日となっていた土曜日を、他の土曜日(一般休暇日)と同様労働義務のない日として「完全土休」にするよう要求していたことが認められ、これに加えて、昭和六三年一二月二六日の団体交渉の申入れ当時において、労基法三七条等にいう休日と同様に割増賃金が支給される休日として就業規則に明記させることまで要求していたと認めるに足りる証拠はない。したがって、組合の右主張は採用できない。

なお、会社は、年次有給休暇取得の要件として、「全労働日の八割以上出勤した者」にいう「全労働日」に一般休暇日である土曜日を含めているところ、労働義務の免除された土曜日を労働日に含めている就業規則の右規定部分は、そもそも労基法に反して無効であるから、この点において既に一般休暇日である土曜日を休日とすることにつき団体交渉をすべきことを命じる必要性もない(最高裁判所第三小法廷平成四年二月一八日判決・労判六〇九号一二頁参照)。

6  <14>項について

平成五年一月の新年会以降、諸行事の主催者が守る会から会社に変更になり、その諸行事への分会の組合員の参加が妨げられないようになったことは、当事者間に争いがない。したがって、本件命令発出の時点では、分会の組合員の諸行事への参加が妨げられている状況にはないから、これをやめることについての団体交渉を行うことを命じる必要性は消滅したものと認められる。

組合は、諸行事から分会の組合員を排除したことにつき会社に謝罪を求め、右排除によって分会の組合員が被った損害を会社に賠償させる必要がある旨主張するが、謝罪及び損害賠償の要求は、昭和六三年一二月二六日の団体交渉の申入れ当時において要求事項に含まれていた内容ではないから、組合の右主張は採用できない。

7  その他の事項について

その他の事項について、会社は誠実に対応している旨主張するが、この主張が認められないことは前記(一の2)のとおりである。

四  争点4(初審命令主文第二項を維持した部分にかかる救済利益の有無)について

平成五年度昇給の団体交渉以降、会社が一般的な資料を団体交渉の席上組合に提示していることは、当事者間に争いがない。しかしながら、会社も自認するように、これら資料はいずれも一般的な給与水準等を示す資料にすぎず、これら資料によって昇給及び賞与に関する会社の回答の根拠が具体的に明らかになるものでないことはもとより、本件命令発出時点において、会社が団体交渉の席上、具体的事由を開示して対立点を可能な限り解消しようとする努力をするようになったと認めるに足りる証拠もないから、救済利益が消滅したとの会社の主張は理由がない。

五  争点5(初審命令主文第三項を維持した部分にかかる救済利益の有無)について

平成五年一月の新年会以降、諸行事の主催者が守る会から会社に変更になり、その諸行事への分会の組合員の参加が妨げられないようになったことは、当事者間に争いがない。したがって、本件命令発出の時点で、分会の組合員の諸行事への参加が妨げられていることを前提とした守る会への経費援助を禁止する必要性は消滅していたものと認められる。

組合は、諸行事から分会の組合員を排除したことにつき会社に謝罪を求め、右排除によって同組合員が被った損害を会社に賠償させる必要があるし、諸行事がいつ再び守る会の主催に変わるかも知れない不安がある旨主張する。しかし、会社が従来行っていた守る会に対する経費援助の不当労働行為性が消滅するものではないから、謝罪や損害賠償については救済命令とは関係なく別途解決すべき事柄であるし、現にこの点に関する不当労働行為が行われていない以上、特段の事由のない限り、将来不当労働行為が行われる可能性があるということのみで、これを禁止すべき必要性はないものと認められるから、この点に関する組合の主張は理由がない。

第四結論

よって、会社の本件請求のうち、初審命令主文第一項のうち、昭和六三年一二月二六日付け要求書記載の諸要求事項第六項の慶弔休暇の月例賃金からのカットにかかる部分、第七、第九、第一二及び第一四項にかかる部分並びに初審命令主文第三項を維持した部分について、再審査申立てを棄却した本件命令の取消しを求める部分は理由があるからその範囲で認容し、その余は理由がないから棄却して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 萩尾保繁 裁判官 片田信宏 裁判官 西理香)

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